考えた事を素直に書いてみようと思う。その為に作った訳だし。
えいねが自殺して、後3ヵ月で2年になる。
8年振りの再会から3ヵ月しか彼女は生きていない。
何の為の再会?とよく考える。
8年振りに会った彼女は、わたしと同じ病気になっていて、これもまた嫌な巡り合わせだ。
自殺をするなら飛び降りが確実らしいよ。
わたしは言ってしまった。例え、死ぬ間際にその言葉が過っていようがいなかろうが。
わたしはわたしの言葉にもっと責任を持たなければならない。
痛感するのが遅すぎた。
詩を書こうとすると必ずえいねが浮かぶ。
これはもう病的だと思う。無意識下で考えてしまっているから、止める術もない。
出来るだけ考えないように考えないようにしてる(前はしてなかった)けど、どうしても彼女の死がわたしを誘うような感じがする。
これがボーダー(境界性人格障害、以下ボーダー)の「死にたい病」の一角にすらなっている。
だけどわたしは踏み出せない。最後の一歩が踏み出せない。
正しいのか正しくないのかなんてわからないし、これでよかったとはまだ思えない。
美化しているだけかも知れないし、悲劇のヒロインごっこかも知れない。
だけど、消えない。消えてくれない。
彼女に向かってどれだけの言葉を費やしても、どれだけの言葉を紡いでも、彼女がわたしの中から消えてくれない。
消えて欲しいのかすらわからなくなってきているけれど、このままじゃ「死んだ人に向けた詩」しか書けなくなるんじゃないかと思うと恐くて仕方がない。
わたしは、わたしは「自分の為」に生きている。
あの頃じゃ考えられなかったような生活をしている。病気じゃないんじゃないかな?なんて思えるようになったりもする。
(今晩みたいに眠れないと、どうしても不眠症を思うが)
死にたい。
とふと思う夜がある。仕事も行きたくない。家から出たくない。ただもう何もしないで転がっていたい。
でもそんなわたしでは彼に釣り合わないから必死で生きてる。
だけれど、「ふい」というのは訪れるもので、いつも宥めてもらっている。
このままじゃダメだなぁ。そう思っても、彼女がわたしのほとんどを占めているからどうしようもない。
わたしはこれからどうすればいいんだろう?
わたしはこれからどうやってえいねを消化すればいいんだろう?
右腕の蜘蛛のタトゥー、飲むのが好きだった、ゴスロリを着てママチャリに乗ってVitaに混戦。
思い出というのは綺麗にしか残らないから嫌だ。
わたしはわたしの手順で吹っ切ってきたつもりだった。けれどそれじゃ全然足りないらしい。
えいねはわたしの中でまだ生きてる。
あんまり考えたらえいねが成仏出来ないぞ、という、とーくんの言葉が忘れられない。
このままじゃダメなんだ。
詩人としても、人としても。
わたしがボーダーだからだろうか。
主治医に相談してみよう。
長くなった、今回はこの辺で終わりにしないと何時間でも書けそうな気がするから。
また、きっと彼女の事を書くんだと思う。
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